稼ぐための勉強

娘の受験勉強を見ていて思うことがある。

楽しそうに勉強していてとても良いことだと思うのだが、僕が今”楽しさ”を感じながら勉強に取り組めるかというと自信がない。

 

それはなぜか考えてみたが、たぶん勉強してすぐに”結果”に結びつけようとしすぎるからではないかと。。。

 

自分のやってる仕事に即効性のあることしか学ばない。もっと端的に言えばお金に結びつかない事は学ぼうとしない。そしてなるべく効率よく最短距離で習得したい。

知らず知らずのうちにそんな人間になってしまったのではないか。

 

それが単純に悪い事かというと、そうとは言い切れないから困る。

例えば、仕事上どうしても分からない部分があって、それが分からないと仕事が進まない時は、どこかから情報を引っ張ってきて勉強することになる。これは即効性のある勉強だから勉強しているのである。「仕事が進まない」という強い推進力が背中を押して勉強”させてくれている”のだ。

 

いつ役に立つか分からないことを勉強するには、”余裕”が必要なのだと思う。

今はだいぶ余裕はできてきたつもりだ。経済的にというよりは子どもがいてくれることによる心の余裕の方が大きい。

結婚する前の20代の頃は全く余裕はなかった。お金もないし、いつ役に立つか分からない勉強なんてしてる暇も余裕もなく、目の前の仕事を片付けるためにその都度必要な勉強をするので精一杯だった。

もしかしたら、その積み重ねが今のいくぶんかの余裕に繋がっているのかもしれないが。。。

 

そして何より、勉強することが大変なストレスだった。

それはたぶん、”自分のための”勉強だったからではないかと思う。勉強しないと収入が上がらない(と思っていた)。稼ぐための勉強だった。

 

当時の自分に言いたいことがある。

「自分のために勉強するのも良いが、誰かの役に立つために勉強をしてほしい」ということだ。まぁこんなことが言えるようになったのはホントについ最近になってからなんだけど(笑)

 

稼ぐための勉強だと身につきづらいし、ストレスもかかる。楽しくない。

本来「学ぶこと」は楽しくあるべきだと思う。

 

楽しく学び、それが誰かの役に立って、最終的にお金になって自分に返ってくればよい。コップに知識という水が溜まっていって、コップからあふれた分の水=お金みたいなイメージ。いったんお金のことは忘れなさい、と。

 

こんなことを言ってても、「最終的にはお金になって返ってくるように勉強しなきゃ」などと考えてしまう自分はやはり弱いのだと常々思う(笑)

 

まずは、楽しく学ぶこと。それを誰かのために役立てて、その”誰か”から感謝というフィードバックを受けられれば良いサイクルが出来上がると思ってる。

 

そんなことを娘から教わった。子は親の先生だなぁ。